自衛隊を辞めた後も未だに「自衛官だったんだなぁ」と思う瞬間の話

 

元陸上自衛官のレトロ軍曹です。

自衛隊を辞めてもう10年になり、徐々に自衛隊の時の習慣が抜けてきて「懐かしい」と感じることの方が多くなってきましたが、それでも「これはもう一生直らないんだろうな」と実感することも少なくありません。

 

その1つに「バラエティ番組などで間違った敬礼をしている人を見ると虫唾が走る」というものがあるのですが、これは自衛隊あるあるの1つだと思います。

そこまで重い症状だというわけではありませんが、現役自衛官の方はもちろん、元自衛官だという人は少なからず思う部分があるのでは?

 

そこで今回は、陸上自衛隊をやめて10年になる私が未だに「自衛官だったんだなぁ」と実感する瞬間についてお話ししたいと思います。

 

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自衛官だったことを実感する瞬間

バラエティ番組等で敬礼を見た

 

お笑いタレントの人がよくやっている光景を見るのですが、いわゆる「了解しました!」という意志疎通で、敬礼のジェスチャーをしている場面です。

たぶん一般の人なら「警察や自衛隊っぽい感じでちょけてる(ふざけてる)だけ」と思う程度だと思いますが、元自衛官としてはなんか嫌なものが残ります。

 

特に「アラレちゃんっぽくなっているやつ」とか「親指が開いているやつ」に関しては、救いようがないというか気持ち悪いというか…。

何人かで集まってテレビを見てる時にその場面が訪れたとして「この中でこの部分が気になるのって自分だけなんだろうな…」と思ったりします。

こういう時に潜在能力レベルで洗脳されていることを実感するというか、たぶん深層心理のどこかで「神聖なる敬礼を馬鹿にしないでもらいたい」というような感情があるのではないかと思うんです。

 

迷彩柄に対して特別な感情が生まれる

 

自衛隊に入る前は、おしゃれアイテムという意味で1つか2つ所有していた迷彩柄のアイテム。自衛官になってからは一切身に付けることがなくなりました。

これは「休みの日まで迷彩柄を身に付けたくない」という思いがあったからですが、今では一周回って迷彩柄に興味が出てきたという感じです。

 

自衛隊をやめた直後は「迷彩なんかもう二度と着ない」と思ったはずなのですが、最近はユニクロに行っても迷彩柄があれば本気の感情で買おうかどうか悩んだりします。

あと半長靴っぽいブーツを買おうと思ったり…。自衛隊を辞めた時は「もうこんなの履かなくて済むー!」という歓喜の声を挙げたんですけどね。不思議な感じです。

 

「着眼」などの言葉を未だに使う

 

私は入隊後に初めて「着眼」という言葉があることを知りました。

言い方を変えると「目の付け所」という意味なのですが、これって一般的にも使われる言葉なのに一般社会ではあまり使われない言葉のように思います。そして陸上自衛隊時代は、毎日のように聞いていた言葉です。

 

未だにふとした瞬間でこういうワードを口走ってしまうと「うわぁ…」と思います。あとは「たんせつ」とか「ばくちゃく」とか。

さすがに「ひとにーまるまる」とは言わなくても、ダブルコロンを入れずに1200と表現してしまうあたりは結構な重症だと思っています。

ちなみに時間の言い方はかなりのレベルで染みついていたので、割と意識的に言い方を直すようにしました。それでも慣れるまでに半年~1年かかりましたが…。

 

「声が大きい」とよく言われる

 

例えば会議の場などで自分の意見を言う場合、私の考えとしては「全員に聞こえるような声のボリュームで喋るのが当たり前」だと思っていて、小さいくらいならちょっとくらい大きい方が良いと思っているのですが…。

割と多くの人に「声、大きいですね」と言われます。「いや、あなたたちの声が小さいのでは?」と言いたいことが本当に多いです。

 

もちろん当社の社長なんかは好意的な意味で言ってくれているのですが、先輩社員からは「もうちょい声のボリュームを抑えた方がいいんじゃない?」というニュアンスで言われることも少なくありません。

思えば部活動の時は「声を出せ!」と言われてきて、自衛隊生活では声が小さいということで怒られたことは山ほどあっても、その逆は一切なかったので。

 

パワハラに対する基準が一般人と違う

 

私が極めて重症だと感じているのがこれです。ニュースなどでパワハラの内容を報道されたりすると「これってそんなに騒ぐこと?」と思ってしまいます。

例えば新入社員に余興をやらせる会社があって、それがSNSを通じて炎上するなんてことは毎年の恒例行事のような気がしますが、一般の方の考え的には「未だにそんな時代遅れの会社あるの?」という冷めた感じのように思いました。

 

個人的には、新入社員=嫌なことを押し付けられても仕方ない存在という考えがあって、少なからずも「誰しもが通る道という感情」があります。

学生時代の部活動なんかでも、1年生が片付けなどをやらされませんでしたか?

 

今の時代は「全員で後片付け」という考えの方が強いのかもしれませんが、私の時は「雑用は1年の仕事」というイメージが強く、更に私より上の世代になるとPL学園の上下関係とまでは言いませんが、もっと「3年の先輩=神、2年の先輩=人間、1年の後輩=奴隷」のような感じで扱われていたように思います。

ただし一般的には「学生時代じゃないんだから」という考えの方が強いようなので、そういう部分でも私は未だに洗脳されている部分があるのでしょう。

 

いずれにしても変なところでズレているという感覚があり、自分にとって大切な人がいじめやパワハラで悩んでいるとなった時に、それを深刻に受け止められるかどうかが非常に心配です。

私は「飲み会の時の余興で滑りそうになったら、全裸で腕立て伏せをやれ」と言われてきたので、たぶん一般の人と比べてドライな部分があるような気がします。

 

こんなことが一般の世界であったら「とんでもないことだ!」となるようなことでも、私にとっては「それってそんなにおかしいことかな?」というギャップを感じることがあり、これはもしかすると一生直らないのかもしれません。

「自衛隊生活は良くも悪くも人格に大きな影響を与えると思う」という話

 

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最後に

私は陸上自衛隊をやめて10年経った今でも、洗脳というか呪縛というような感覚に陥ることがあります。

もちろん良い意味でも悪い意味でもそういうことがあるのですが、自衛隊生活が長くなれば長くなるほど、そういう実感は強くなるでしょう。

 

特に私の場合は6年しか在籍していなかったとは言っても、自衛隊に入隊してからは過去の友好関係を一切リセットし、自衛官とばかり遊んだりしていたので、その影響が強い可能性があります。

もちろん人によるという部分は間違いないにしても、いずれ自衛隊から出て一般社会に入る時に感覚の違いに悩むことがないよう、一般的な見識に触れておくのが賢明かもしれません。

 

 

この記事を書いた人

元陸上自衛官のレトロ軍曹です。20歳の頃に入隊し、自衛隊には6年間在籍していました。仲の良い現役自衛官と今でも交流があるので、定期的に取材みたいなことをしつつ、自衛官を目指したいという人に向けて「もとじブログ」を運営しています。

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