元陸上自衛官のレトロ軍曹です。
私はかつて陸上自衛隊に勤務していましたが、ある時から自衛隊に勤めていることがたまらなく嫌になり退職しました。
この時、一般の会社では考えられないほどの説得や面接が行われたのですが、頑なに「辞めます」という態度をとり続けた私を待っていたのは、これまでの自衛隊生活とは大きくかけ離れた生活だった記憶があります。
この記事では「私が陸上自衛隊を辞めると言ってから受けた仕打ち・嫌がらせ」についてご紹介します。
自衛隊を辞めようと思ったキッカケ
自衛隊を辞めようと思ったキッカケは色々ありますが、やはり多くの隊員が感じるような不満とほぼ一緒だと思います。
結婚するかそれなりの年齢にならなければ営内(寮)から出られないとか、国旗掲揚・降下の時に敬礼をしている際中「何やってるんだろう…」と思ったり、これから一生横にいる理不尽な先輩の後輩でいなきゃいけないとか、そもそも自分が自衛官だということに誇りを持っていなかったという部分がほとんどです。
あとはお酒が飲めない私にとっては飲み会が多かったのも苦痛でしたし、とにかく色んなことが嫌になっていた時期に、たまたま嫌いな先輩から理不尽なことを言われて不満が爆発したという感じでした。
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辞めると言ってから受けた仕打ち・嫌がらせ
ゴールデンウィーク明けに辞職表明
私が自衛隊を辞めると言ったのはゴールデンウィーク明けのことです。
一般の会社では「3ヶ月前に退職を願い出れば、ある程度すんなり辞められる」と聞いていたのですが、その時に上官から言われたのは「一般の会社と自衛隊は違う」ということで、来年4月の退職となりました。
できれば一刻も早く退職したかったのですが、結構キツイ口調で「お前が抜けることで多くの隊員に迷惑がかかる/わがままを言うばかりではなく、自分の使命を全うしろ」等と言われたので、泣く泣くそれに従うことに。
もしここで「何と言っても夏には辞めたい/一刻も早く退職したい」と譲らなければまた違う未来になったかもしれませんが、いつもニコニコしていてついこの間まで「辞めないで共に頑張ろう」と言ってくれた中隊長が鬼のような形相をしていたので、私も内心かなりビビっていたんだと思います。
夏の人事異動で左遷
夏の人事異動で、見事に僻地に飛ばされました。隣の県との県境にあるような駐屯地で、一応「緑は多くて、ご飯が美味しいと言われている駐屯地」です。
「リフレッシュできて良かったな!」みたいに声を掛けられることがありましたが、当時の私は嫌味を言われているんだと感じたのを覚えています(今思えば、別に嫌味じゃなかったような気もしますが)。
ちなみに他意がどうであれ、ここでの日常生活は悪くなかったです。
自家用車を持っていないと電車が無いので移動手段がバスになり、門限に間に合うように帰ってくるためには街を夜7時には出ないと間に合わないというのがネックでしたが、私はもうほとんど引きこもっていましたので特に影響はありませんでした。
人の嫌がる仕事を全部押し付けられる
個人的にはここからが結構苦痛で、新たな所属部隊で抱えている厄介な仕事をすべて任されることになります。
まず、ほとんどの隊員が嫌がるような行事はすべて私が参加させられました。
大きな飲み会や集会など、できれば参加したくないと考える人が多い行事は基本的に持ち回りでローテーションするのですが、私がフル出場です(仲の良かった先輩から「お前は衣笠か!」と言われたほど)。
飲み会では部隊ごとに余興の出し物をさせられるのですが、ウチの隊からは私が1人で行かされたので、ピンネタの余興も結構きつかったです。
何が1番きつかったかというと、銃剣道で軽く体を痛めてしまい、満身創痍の身体で持続走大会にも出させられた時がピークできつかったですね。
どっちも本来であれば出なくても良かったはずなのですが、なぜか直前になってピンチヒッターに抜擢されるという展開で、個人的には「ここにきて始まったか…」と思った記憶があります。
ちなみに根性論を軽視しない自衛隊ですが、体調管理に関しては根性論を用いないことがほとんどで、ケガのケアや体の整備に関してはちゃんとしている印象です。
そのため、私は無茶苦茶なスケジュールで日常業務以外のことをほとんどやらされていた時に「本気で壊しにきているな」と感じました。
結局大きな怪我をすることはなく、何とか五体満足で退職することができましたが、6年間の自衛隊生活で総監検閲よりも陸曹教育課程よりもどんな訓練よりも、この半年間がきつかったです。
お見合いパーティーへの強制参加
自衛隊には「お見合いパーティー」というものがあり、一般女性と出会いの場ということで社交会のようなイベントがあります。これにも強制参加させられました。
もしかしたら本気で出たいと考えている人もいるのかもしれませんが、私の周りではこれに出たいと言っている人はほとんどいなかったです。
会費が自腹で数千円、そして休日返上なので、参加資格を持つ者同士で押し付け合っていました。
当時は(もしかすると今はもっとすごいのかもしれませんが)、自衛官と出会いたいという女性が結構集まってきて、人数だけで見ると女性の方が多いくらいです。
自衛隊としても「メンツを揃えないと相手方に失礼だ」と考えるせいか、人数合わせのために強制的に頭数を揃えたりするので、私の中では「生贄」という印象が強かったですね。
有給消化中の定期的な出勤
私はハッキリ言って自衛隊の辞職意思を表明してから、精神的にかなり病んでいたので、もしかすると善意でしてくれたことも悪意として捉えていたかもしれません。
そんな私が今でも「これはハッキリ悪意だ」と感じたのが、有休消化中の定期的な出勤です。
最後辞める際に、丸々1ヵ月分の有休を消化させてもらいました。ここだけ聞くと「一般の会社だとなかなかそこまでしてくれないよ?」と思うかもしれません。
私も最初はありがたいなと思っていたのですが、人員不足を理由になぜか4連休→出勤→4連休→出勤みたいな感じなんです。
地元だったとしても結構な嫌がらせだと思います。まして私の場合は、最初に2つほど離れた都道府県に転勤させられていますから、勤務先の駐屯地と実家がかなりの距離なんですよね。
結局、実家に帰るのにもお金が掛かるということで、最寄りのハローワークに通いながら地元の情報を調べるという生活をすることになります。
そういう事情もあって就職活動なども難しく、とりあえず4月に退職してから考えようというカタチになりました。
普通は円満退職できる
私が退職した年に同じく自衛官を退職した同期は何人か居ましたが、みんな最後は笑顔で退職していったように思います。
私は途中の段階でかなりこじらせてしまったので、そういうこともあって結構な嫌がらせを受けたのでしょう。というか、下手すると嫌がらせじゃなかった可能性もありますからね。
それに左遷されてからは私の態度にも問題があったので、私が隊長だったとしても「あいつに全部押し付けてやる!」と思ったかもしれません。
いや、押し付けてやるというよりは「悩む必要もなくなるくらい身体を動かさせてあげよう」という優しさからの行為だった可能性も。
いずれにしても、私の場合は嫌なことがあって腐ってしまったので、今でもその点については反省しています。
もし自衛隊を辞めたいという場合は決して腐らず、最後まで礼儀を持ったまま退職を目指した方が、間違いなく損をせずに済むでしょう。
最後に
個人的には「こうなるくらいだったら、最初から『すぐにでも辞めたい』とゴリ押しすれば良かった…」という後悔をしたので、もし辞めることを強く決断したのであれば自分の正直な気持ちを言ってみるべきだと思います。
実際に脱柵した隊員なんかは4月を待たずに退職できていますし、家庭の事情だと言って早くに退職した隊員もいましたから、来年4月まで必ず務めなきゃいけないということも無いでしょう(その隊員は本当に家庭の事情でしたが、事実確認まではしないはず)。
ただ、辞職表明をしてから派遣隊(他の駐屯地)に飛ばされるという事例は、割と珍しくないんじゃないかと思います。
それを左遷されたと捉えれば悲観的になってしまいますが、時間的な余裕を与えてもらった等のポジティブに捉えることができれば、残りの自衛隊生活も有意義に過ごせると思うのでおすすめです。