元陸上自衛官のレトロ軍曹です。
私はかつて陸上自衛隊にいたのですが、一生勤め上げるつもりで入隊したのにも関わらず、最終的には立つ鳥跡を濁しまくって、半ば遺恨を残すようなカタチで退職しました。
退職してから10年ほどの年月が経ちましたが、何か災害が起きるたびに活動している自衛官の方を見ると、本当に頭が下がる思いですし、自衛官として信念を持って活動されている方は心から尊敬しています。
そんな私も最初から自衛隊に入りたかったわけではありません。
この記事では、私が陸上自衛隊に入隊することになったキッカケについて話したいと思います。
私が陸上自衛隊に入隊した理由
そもそも自衛隊に入る気なんてなかった
私は高専中退です。高専というのは5年一貫性の学校で、5年間通って卒業できれば短大卒と同じ扱いを受けられるのですが、私は4年生の時に退学しました。
その年の秋に地元の公務員試験を受けたのですが、その時に親戚から「自衛隊もいいよ」とアドバイスを貰い、個人的には「自衛隊なんて…」という気持ちがあったものの、その親戚が良心からアドバイスしてくれていることを痛感したので、受験だけでもしてみることにしました。
警察、市役所、県職員…。受けられる試験はすべて受けました。警察と消防士は日程が被っていたので、警察を選んだ記憶があります。
公務員になりたかった理由は地元に残りたい気持ちが強かったのと、当時も景気が良い方ではなかったので、安定しているからという単純な理由からでした。
公務員試験に挑戦→全滅
1年目の公務員試験では全部の試験に落ちました。
筆記試験は通るのですが面接で落とされてしまい、周りの友人からは「お前のだらしない部分がプロの面接官には見抜かれているんだろう」と笑われましたが、私は本気で悩みましたね(落ちた原因が分からないので)。
ちなみに恥ずかしながら、その時は自衛隊も落ちました(今でこそ試験の難易度が上がったようですが、私が受験した頃はよほどじゃない限り合格できる基準だったと思います)。
これは後で広報官から聞かされたのですが、面接のときに「家族で入隊に反対している人はいますか?」と聞かれ、その時に「祖母が反対しています」と答えたことが引っ掛かったようです。
広報官には「反対している人がいるとか、なんでそんなことを言うかなぁ…。馬鹿じゃないの?」と言われたりもしたので、その時から既に自衛隊に対して良いイメージは皆無だったと記憶しています。
ちなみに広報官にも当たり外れがあって、ハズレの方が付くとストレスになることも少なくありませんから、そういう人は遠慮なく広報官を代えてもらった方がいいですよ。
▶広報官にも当たり外れがある!信頼できない広報官はチェンジしよう
2年目は更に勉強をし、同じローテーションで公務員試験を受けました。
2年目はもう自衛隊を受ける気はなかったのですが、当時の広報官が私のバイト場まで勧誘に来たりして、試験を受けると言わないと帰らなかったりしたので、嫌々ながらも受験することに。
しかし、やはり面接で全滅してしまいました。
ちなみに自衛隊の二次試験は警察の二次試験と重複したので、辞退しますという連絡を入れて受験しなかったので、自衛隊試験にも落ちたことになります。
民間企業の面接を受け始める
当時は実家に住みながら公務員試験の勉強とアルバイトをし、そのバイト代を生活費として家に納めていたのですが、親と高専を退学するときにした約束が、20歳までにある程度の結果を残すというものでした。
私は2年目の公務員試験に全滅した時点で、もう家を追い出されても仕方ないと思っていた矢先、親から「3度目の正直、やってみるか?」と言われた時は、涙が止まらないほど泣いたことを記憶しています。
しかし約束は約束であるという考えや、「問題点が分かるなら改善もできるけど、なんで落ちたかという部分で『本性が見抜かれている』と言われてしまったら、もはや対策のしようがない」ので、もう公務員試験を受けることは辞めることにしました。
(これ以上、一次試験の点数を獲れと言われても無理だと言えるほど、やり切った感もありましたし)
それからはハローワークに行って仕事を探したりしたものの、学歴もなければ職歴や実務経験もなく、かつ仕事を選んでいたという部分もあったせいか受からず…。
今思えば全然大したことじゃないんですが、10社連続で落ちました(でも当時の私は「世の中に必要とされていない」と悲観的になったものです)。
そのうち書類で落ちたのが7社で、残りの3社は面接をしてもらうことに。
そのうちの1社が今思い出してもとんでもない会社で、圧迫面接のようなキツイ事を終始浴びせられるという面接スタイルでしたし、最終的には「合否が聞きたければ〇日の△時に電話してこい」と言われました。
今思えばこの会社が異常だったと思うのですが、当時の私にとっては「一般の会社怖い…」となってしまい、ここから面接を受けに行くのが怖くなってしまったんですよね。
絶望に暮れた日常に一筋の光明が差す
そんな時に、大嫌いだった自衛隊の広報官から電話が掛かってきました。
正直言って家に何回も押し掛けてきたりして、暇さえあればバイト場にまで来るような広報官でしたので、電話もしばらく無視してたんです。
でもそのうち時間も関係なくなってきて、朝から夜までやたら電話をかけてくるということが2日間続いたので、いい加減に腹が立って電話に出たところ「お前のために面接を受けさせてやる」と言われました。
私は地元の自衛隊の二次試験を辞退したのですが、どうやら話を聞くと隣の都道府県の二次試験がまさにこれからということで、この広報官がそこに私をねじ込んだということでした。
そして試験会場は隣の都道府県なのですが「俺がお前を連れていってやる!」みたいな感じで、半ば無理やり連れていかれた記憶があります。
正直言って、陸上自衛隊には仮に合格しても行くつもりがなかったので、服装はジャージで行きましたし、受け答えもちゃんとしようという気がサラサラなく、ひどく生意気な若者だったはずです。
「なんで自衛隊に入ろうと思ったのですか?」と聞かれれば「入ろうと思ったことは一度もなく、この場に来た理由は広報官があまりにもしつこかったからです」とか、芸人さんのコントでも見ないようなふざけた態度だったと思います。
自衛隊に合格し、恩義を感じてしまった
ちなみに当初の話では、これに合格しても地元の勤務ではなく、あくまで隣の都道府県での採用になると聞かされていたので、面接の時点でハッキリと「ここまでしていただけたことに感謝はしていますが、仮に合格判定を頂いても自衛隊に入隊することはないと思います」とお伝えしています。
理由を聞かれたので「自衛隊のような厳しそうな場所でやっていく自信がない/いじめなどの噂もある寮生活が不安/坊主が嫌だ/地元での就職にこだわりたい」などの理由を挙げたわけですけど、結果的に地元での採用になったんですよね。
そして面接が終わってから数日後、これまでの広報官とは別の自衛官の方が家まで来てくれて、すごく嬉しくなる言葉をたくさんかけてもらいました。
これが向こうの策略だった可能性もありますが、これらの言葉に当時の私はコロッといってしまい、この人や面接をしてくれた自衛官の方々に恩義を感じてしまうことに。
「髪は訓練をするからピシッと短くしてもらわなきゃいけないけど、スポーツ刈りや角刈り程度であればOKで坊主にする必要はないよ」と言われたり「君のような素晴らしい人材を他の都道府県に渡したくない」と言われたりしました。
この時に「彼氏に振られて凹んでいる女性に優しくすることの有効性」について、身をもって体感したような気がします。
ちなみにスポーツ刈りで入隊した後の2ヶ月後には3ミリの坊主にさせられましたし、3ヶ月後には2つほど隣の都道府県に転勤させられましたけど。
まとめ
当時はまだ災害なんかも少なくて、自衛隊は一部で人気があると言われていたものの、ドラマ化されたり漫画化されたという事実もなかったので「自衛官たちが勝手にそう思い込んでいるだけ」と思っていました。
そして私自身が持つ自衛隊のイメージも「テストは名前を書けば受かる」とか「筋肉バカの集まり」というイメージがあったので、まさか自分が入隊することになるとは夢にも思いませんでした。
最近では地震や洪水などの災害派遣の際に頼りになる存在だったり、隣の国が騒がしいということもあって、幸か不幸かその注目度を増している自衛隊ですが、今は客観的に見て「人気のある職業と言ってもいいのでは?」と思います。
自衛隊に入隊したいという人はぜひ挑戦してみてはいかがでしょうか?(もし私に息子がいたとしたら、息子には絶対におすすめしませんが)